── 一組のご家族との出会い、そして私自身の原点。
11年前のことです。 一組のご家族が、
マイホームのご相談に来てくださいました。
ご主人は礼儀正しく、まっすぐな目をされた方で、
奥様も穏やかな笑顔で打ち合わせに同席されていました。
でもそのご主人の表情の奥に、
言葉にならない疲れが滲んでいるのを私は感じていました。
ご主人は、ご両親が立ち上げた会社の2代目社長。
弟さんと共に家業を支えているはずでしたが、
実際にはすべての責任を背負い、
経営から営業まで一人で担っておられました。
弟さんは出社しても仕事をせず、
売上が落ちればご主人だけが責められ
業績が良くても、褒められるのは「会社の看板」。
そんな理不尽な環境に、心がすり減っていたのです。
でも、そのなかで彼らご夫婦にとっての支えが生まれました。
それが「家づくり」でした。
「週に一度の打ち合わせが、楽しみで仕方ないんです」
そうご主人が言ってくださったのを、私は今でも覚えています。
だからこそ私は、この家を単なる“設計”ではなく、
このご家族の人生の“器”をつくるのだという想いで、
心を込めて向き合いました。
そして、完成したマイホーム。
それは彼らにとって、心の安らぎであり、
家族が安心して集まる場所となりました。
――それから9年。
ある日、ご夫婦が私のもとへご相談に来られました。
「この家を売却して、新しい事業を始めようと思っているんです。
でも、住田さんが精魂込めて建ててくれたこの家を、
手放してもいいのか迷っていて……」
私は、正直にお伝えしました。
「私は反対です」と。・・・
なぜなら―― 私自身にも、
マイホームを手放した苦い経験があるからです。
25年前、私は現在の住宅業界ではなく、
エネルギー関連の会社に勤めるサラリーマン。
建築条件付きの土地を購入し、
大手ハウスメーカーのマイホームを建てました。
住宅営業マンの成績のためにオーバーローンを組まされ、
「ゆとり返済」という住宅ローンで
借入可能額いっぱいまで組まされました。
最初の数年間は低金利。
しかし3年目には月の返済額が3倍に跳ね上がり、
私は本業に加えてアルバイトを2つ掛け持ちしながら
返済を続けました。
でも… 限界は来ました。
体を壊し、 倒れてしまい、
マイホームを手放すしかなかったのです。
その時のことは今でも胸が痛みます。
子どもたちが友達を連れて、嬉しそうに遊んでいたわが家。
その笑顔の中で、私は何も言えないまま、
家を手放す決断をしました。
子どもたちには、子どもたちなりの世界があります。
その世界を、大人の事情で壊してしまうことが、
どれほどつらいことか――
私は身をもって知っています。
だから、ご夫婦には心からお願いしました。
「できることなら、この家を守ってあげてください」と。
その説得に応じてくださり、
その日は穏やかに帰られました。
そして2年後。
ご主人は覚悟を持って決断されました。
ご家族の未来のため、再出発のために
家を手放すという選択をされました。
その後、ご主人がこう伝えてくれました。
「住宅ローンは完済できて、
数千万円のプラスも出ました。
査定に来た不動産会社が「この家は普通じゃない建築費高かったでしょ」
って言ってくれたんです。
「想いが宿っている。まで言われました。」
そして、こう続けてくれたのです。
「4年後、また住田さんに家を建ててもらいたい。
今度は、人生を立て直した自分にとっての“新しい器”として。」
その言葉を聞いたとき、私は静かに深くうなずきました。
私がこの住宅業界に入ったのは、
自分のマイホームを手放した時です。
もう二度と、誰にも自分と同じ苦しみを
味あわせたくないと思ったからです。
だから私は今もなお、 お洒落な家をつくるのだけではなく
色あせない“家族の器”を、つくり続けています。
大手ハウスメーカー時代にトップセールスになれたのも、
独立して今もこうして続けられているのも、
その想いが、ずっと私の中に根を張っているからだと思っています。
家は、ただの建物ではありません。
心を守り、人生を整え、 再び歩き出す力をくれる
“器”なのです。
私は、これからも「人生の器」をつくるお手伝いをしていきます。
SUMIDA-DESIGN-Co
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